
皆さんは普段から「作家」と聞くとどういう職業。人物を思い浮かべるでしょうか? 文学が好きな方だと、芥川龍之介、太宰治、のような文豪と呼ばれるレジェンドでしょうか。漫画好きの方であれば、鳥山明や手塚治虫。映画やドラマが好きな方であれば、宮藤官九郎、古沢良太、といった脚本家を思い浮かべる方もいるかもしれません。近年では、小説原作の映画、漫画原作のアニメといったメディアミックスの作品が多く発表されています。「実写化不可能とされた作品!」と大々的に謡った作品を目にしたことも少なくないのではないでしょうか。では、何故、「実写化不可能」という言葉があるのか考えたことはありますか? そこには、表現の難しさ、再現の難しさ、それぞれのメディアの制限、など様々な要因が思い浮かぶのではないでしょうか。この記事では、「小説」と「脚本」の違いについて解説していきます。
放送作家と呼ばれる職業
「小説」と「脚本」の違いについて解説する前に、まずは「放送作家」という職業についてお話したいと思います。「小説」と「脚本」の違いと関連があるというのが理由です。世の中に溢れる「作家」という職業。ほとんどの方は、「文章」を「書く」人、というイメージが強いのではないでしょうか。ただ、一概にそうとは言い切れません。例えば、「人形作家」、「絵本作家」、「映像作家」、「舞台作家」といった言葉を聞いたことはないでしょうか? 「作家」といっても、モノを作る作家もいれば、映像やイラスト、空間を作る作家もいます。つまり、「作家」とは「クリエイター」と言い換えた方が、イメージとしてもしっくり来るともいえるのです。
では、「放送作家」とはどういった職業、どういった人たちのことをいうのか。言葉だけで見てみると、「放送」を「作る(クリエイトする)」職業。だとすると、「放送」とは? という疑問が浮かぶのではないでしょうか。「放送作家」とは所謂「テレビ放送」が普及した時代から定着している言葉なのです。そのことから、「テレビドラマ」「ニュース(報道)」「バラエティー」のようなテレビ番組の台本を作る人が放送作家だといえます。ただ、近年はその概念の壁も曖昧になっており、関わる場面も広くなっているところがあるのですが、それはまた別の機会に詳しく解説させていただきます。
ただ、「放送作家」とは、「テレビ番組」の台本を作る職業、ということで定着していることは、この令和の時代においても基本的には変わっていません。そのことを踏まえた上で、「放送作家」という職業に含まれる「作家業」とは、何があるのかを見ていきましょう。以下の職業(作家業)は、すべて「放送作家」の括りに入ると言われています。
脚本家
脚本家は、テレビドラマや映画といった映像(舞台なども含む)作品の脚本(ストーリー台本)を書く放送作家です。とはいえ、ただ脚本を考えて書くだけの仕事ではなく、オリジナル作品であれば企画書というのを考えて提案したり、必要であれば、取材や体験をしてリアルさを追求するということもあります。また、原作がある作品の場合は、原作から映像用に解読して構成を考えたりということも含まれます。脚本家は完成する映像をイメージしながら執筆・構成をしていく能力も必要なため、映画監督が脚本も担当するということも珍しくありません。ちなみに筆者である私も「脚本を書くならディレクションも編集もできた方がいいよ!」と脚本の師匠に言われて、映像の世界に足を踏み入れたパターンの人間です。
構成作家
この構成作家という言葉は、お笑い好きやバラエティー好きの方には耳なじみがある職業だと思います。時々、お笑い芸人さんが「作家ちゃんと入っているのか!?」「これ考えた作家は頭おかしいだろう!?」などツッコミを入れているのを見たことがあるのではないでしょうか。この「構成作家」の仕事は、基本的に番組の構成台本を作ることです。一般的には、「テレビ番組」のことを指すことが多いのですが、他にも、ラジオ番組、WEBメディア(YOUTUBEなど)、イベント企画、など多岐にわたります。構成台本というのは、大まかに説明しますと、例えば、トークバラエティー番組であれば、「最初にMCがこんな感じの入りをして、ここでこういった内容のVTRが入って、ここでゲストの●●さんにこういったエピソードトークをしてもらい、次に●●コーナーに入って……」というような番組全体の構成を記した台本のこと。勿論、脚本家同様に、自ら番組企画を考えたりもします。また、構成台本のみならず、コント番組コント台本や漫才番組の漫才を考えて作ったり、芸人さんのライブの構成を考えたりすることもあります。このことから、「お笑い芸人」や「ラジオのはがき職人」から構成作家に転身する方が多くいます。また、番組ディレクターが構成作家を兼任する場合も多くあるのが事実です。
舞台(戯曲)作家
舞台作家とは、ほぼ、脚本家と同じ括りにしてしまって良いのですが、舞台作品のストーリー台本、所謂、「戯曲」を作る作家さんのことを言います。舞台作品は、映像とは違い、舞台上で繰り広げられる物語を作るので、映像とは違った難しさがあります。近年では映像技術を融合させて魅了する作品も多く生まれていますが、そこは演出師や責任者と一緒に考えたりもします。映像だと細かいところまでカメラで撮影(映す)ことができますが、舞台では、細かい動作などにフォーカスすることは難しく、観客が見るステージ上で起こる範囲で表現しなければいけいという難しさがあるからです。舞台に関わるお仕事をされている方や舞台観劇が好きな方は「座付き作家」という言葉を聞いたことがあるかと思います。「是付き作家」は、所謂「劇団」に所属して、その劇団の舞台作品を専門で執筆する舞台作家のことを言います。幽めいな方でいうと、宮藤官九郎さんは、劇団「大人計画」の座付き作家の顔もお持ちです。
放送作家という職業まとめ
「放送作家」とは、大まかに分類すると「映像脚本家」「構成作家」「舞台(戯曲)作家」の3つを総称して呼ばれる職業と思っていただいて良いでしょう。そして更に、先述したように、その分類の2つ・3つと兼任する作家さんが増えてきている状況です。具体的に挙げると、宮藤官九郎さん、バカリズムさん、鈴木おさむさん、といった方々。ドラマ(映画)脚本も書くし、番組構成台本も作る。また、コントや漫才のネタも担当している。という具合で、手掛ける作品が映像、番組、コント、などと多岐にわたる方が増えているという事情もあるからなのか、特にエンターテイメント業界では、上記3つを含めて「放送作家」と呼ぶことが定着しているのです。
小説と脚本の違い
先述した「放送作家」について知っていただいた上で、ここからいよいよ「小説」と「脚本」の違いについて説明していきます。
表現の幅と制限
「小説」と「脚本」の違いでまず1つ目のポイントとなるのが「表現の幅と制限」です。「小説」は作り手である作家一人ですべてを構築できて完結できる、言わば「すべて自己責任で自由」です。一方、脚本とは「制限のある中で表現する」という違いがあります。これが最大の違いであるといえるのです。
脚本の特性
なぜ「脚本」には「表現の制限」があるのか? その答えは、「脚本」とは「映像作品の設計図」だから。つまり、「脚本」というのは「映像」ありきの台本なのです。プラモデルでいうと、完成までの手順を記した説明書が脚本で、それを基に完成したプラモデルが作品である、ということ。一方で「小説」は、その原稿を最後まで完成させた時点で1つの物語作品として成立(発表)します。
つまり、脚本は映像の設計図である以上、脚本一本では作品として成立せず、その脚本を基に映像やドラマ・漫画が出来て初めて作品となるからです。以上のことから、脚本で表現できるのは、カメラに映っている範囲の表現しか成立できないという制限があります。皆さんの中には「?」が頭に満ち溢れてきているかもしれません。では、具体的に紐解いていきましょう。
具体例として
或る街中をタケシという男が歩いている、という場面をイメージしてみましょう。
小説でこの場面を思い描いた通りに表現できることはどんなことでしょう?
・タケシのプロフィール(年齢、職業、見た目、etc…)
・タケシがこの道を歩いている理由・目的
・タケシが今の心情(何を考えているのか)
・タケシの表情・動き
・タケシがいるシチュエーション(具体的な場所:日本の渋谷のスクランブル交差点付近?)
ざっと挙げただけでもこれだけ表現が可能なのが、小説です。
では、脚本ではどうでしょう?
・タケシのプロフィール(見た目のみ)
・タケシが歩いている表情や様子(早歩きで急いでいる?何か探していてキョロキョロしている?)
・タケシが歩いている街の様子(都会?人が多い?天気は?季節は?etc…)
・タケシがいるシチュエーション(ト書きや字幕でも表現可能だが、画で説明できていなければ、視聴者はビジュアル(画)で判断・想像するしかない)
脚本で表現できるのは以上です。
現在、カメラで映しているのはタケシが街中を歩いている画です。つまりそれは視聴者の目線ということになります。映画やドラマの画面には今現在、「タケシが街中を歩いている」画だけが映し出されているだけですから。先の例題で「タケシ」という名前を付けましたが、それを知らなければ、視聴者にはこの男の名前が「タケシ」であるともわからないわけです。
この場面を小説で表現すると…
「タケシは21歳の大学4年生。電車の遅延に巻き込まれ、10分前に渋谷のハチ公口にでてきた。ヤバい…タケシは心の中でつぶやくと、カバンからスマホを抜いて見る。嘘だろ……スマホの電源が落ちている。就職活動の面接開始時間は迫っている。真夏日で体感温度が40℃を超え、大量の汗が流れ落ちる。面接場所が分からない。多くの人が行き交かう大都会の交差点。誰かに道を尋ねようか。正面から歩いてくる20代そこそこの女性に声を掛けようと踏み出す。女性はタケシに気づくと一瞥して方向転換してしまった。絶望するタケシ。口の中がカラカラ乾くのを感じる。そういえば今朝、母親がお守りを寄越してくれたときにこう言っていた…」
といった具合にこの一場面だけで表現できる情報量には殆ど制限はありません。
脚本で特に表現が制限されるのが「心情」です。勿論、例外的に表現できる方法はあります。イメージしやすいことでいうと、「男の名はタケシ。21歳大学4年生。タケシはいま、就活面接に遅れて焦っていた!」とナレーションを入れてしまうという方法。ただ、今回に限っては基本的な脚本表現についての解説ですので、また別の記事で解説します。
台本(脚本)上で表現できるのは…
タケシ(21)、焦った様子で足早に交差点を渡ってくる。
渋谷のスクランブル交差点。
多くの人が忙しなく行き交う。
タケシ「……」
タケシ、おもむろにカバンからスマホを抜いて見る。
スマホの電源が落ちていて。
タケシ、正面からきた女性(20代)に声を掛けようと踏み出す。
女性、タケシを一瞥して方向を変えて行ってしまう。
タケシ「……」
タケシ、空を見上げて。
タケシ、ふと何か思い出したようにポケットから何かを出す。お守りだ。
という感じでしょうか。
これを基に、この場面を撮影するロケーション、カメラのカット割り、演技プラン、などをそれぞれの担当が読み取って決定していくのです。
つまり、あくまでも「カメラで映している画」の中で表現しなければならないため、この例でいうと「タケシのプロフィール(名前、年齢、職業、過去の実績や経験)」、「タケシの目的(就活面接に行きたい)」「タケシの心情(心の中で何を思っていること・考えているのこと)」などはこの一場面では描けないのです。映っている景色、人物の動きや表情、行動、前後の場面など映像情報から視聴者に理解または推測(想像)してもらうしかできないということになります。
ちょっと横道:業界やジャンルによる制限
脚本には制限がある、ということは理解していただけたかと思いますので、ここでちょっと横道にそれて、脚本における業界的・ジャンル的要因による制限についても少しお話します。小説では、ある程度の決まり(例えば、映像化前提条件だったり、作品企画上の決められた制限:異世界モノにする、女性主人公にする、年齢制限がある、コンプライアンスなど)がない限り、外的要因など余計な事は考えずに自分の思い描いたアイデアを自由に表現して良いと言えます。物語を最後まで書ききれば作品として成立するわけですから。しかし、脚本になるとなかなかそうはいかないのが悲しい事実。その中でも以外な制限もいくつか存在するのです。特にテレビドラマや広告ドラマなどでは、企画段階でもう決まっていたりします。以下、例を挙げてみましょう。
例①主人公のキャスト(俳優)や特定の俳優ありきの企画として決まっている制限
若手俳優の●●さんを主人公とした企画!
例②予算の制限
予算が少ないので、登場人物は3人までで普通の洋室のワンシチュエーションで完結して!
例③スポンサー制限
アパレルブランド●●の商品を大事なシーンで必ず出してください!
例④コンプライアンス制限
ホラー作品企画だけど血を見せるのと人体破損系はNG!
未成年不良少年が主人公の企画だけど、万引きとかノーヘル運転、飲酒・喫煙・暴力はNG!
例⑤業界制限
皇室NG、宗教NG、特定団体NG etc…
まとめ 小説と脚本の違い
ここまで、小説と脚本の違いについて解説してきました。脚本を作ることは映像(舞台)作品を作るための作業であることがご理解いただけたと思います。脚本についてもっと知りたい!脚本を書いてみたい!という方は引き続き、「脚本道」シリーズの記事で脚本の作り方についても知っていただき、ご自分のオリジナル作品をクリエイトしていただけたらと思います。
●小説は、基本的に表現の制限はなく、最後まで完成させたその1本(一冊)で作品として成立する
●脚本は映像(舞台)作品を作るための設計図なので、脚本だけで作品としては成立しない
●脚本はカメラに映っていることだけしか表現できない(表現する方法やテクニックはある)
●脚本は、特に人物の心情・経験や実績は書くことができない(表現する方法やテクニックはある)
●放送作家とは、脚本家、構成作家、舞台作家を含めた言い方(兼任の作家さんも多い)
最後までありがとうございました!また次回の記事でお会いしましょう!